暇なときに Ruth Bader Ginsburg(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)氏死去
暫くの間Ruth Bader Ginsburg(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)氏の後任人事に関する報道が増えるでしょう。
何故か?
2009年に膵臓癌を宣告されたギンズバーグ氏は、そもそもヒラリー・クリントン氏が2016年の大統領選挙で勝利していれば、最高裁判所判事の自身の後任人事はクリントン氏に託して引退すると言われていた。しかしながら、クリントン氏は敗北。アメリカ合衆国最高裁判所判事の任期は終身制だ。当時の最高裁判事9人の構成は、保守派の判事が5人、リベラル派の判事が4人であり、ギンズバーグ氏は、自身が引退すると共和党出身のトランプ大統領によって保守派の判事が後任として任命され、連邦最高裁の保守化がさらに進むことを危惧していたため、引退はせずに職にとどまった。
日本人の我々には理解することが難しいが、アメリカの最高裁では、リベラル派・保守派判事の構成状況によって妊娠中絶や銃規制など重大な憲法判断が大きく揺れ動く。国の在り方が変わってくる。特に、自由・平等に関して、アメリカ国民の最高裁判事に対する関心は非常に高い。リベラル派である民主党は、妊娠中絶・銃規制に賛成、保守派である共和党は反対だ。ざっくりいうとマスクを強制することに民主党は前向きで共和党は後ろ向きだ。ここまで聞くと何か民主党の方が良さそうに聞こえるが、大麻合法化を進めているのは民主党であり、共和党は反対している。
アメリカでは、ギンズバーグ氏は、名前の頭文字をとって「RBG」と呼ばれるくらいの人気者だ。彼女は、ニューヨーク市ブルックリン生まれ。1993年にビル・クリントン大統領に指名されてから、死去するまで27年間にわたってアメリカ合衆国最高裁判所判事を務めたリベラル派判事の代表的存在としてアメリカ社会で大きな影響力を持った人だ。
ギンズバーグ氏は、コーネル大学を卒業後、ハーバード大学ロースクールへ進学。500人超の全学生に対して女子学生は9人しかいなかったというのは有名な話だ。因みに現在のハーバード大学ロースクールの男女の割合は略50/50とのことだ。在学中に同窓生と結婚、娘が生まれ、育児のため通学を一時中断。夫が卒業しニューヨークで職を得たためハーバード大学のあるボストンを離れ、ニューヨークにあるコロンビア大学ロースクールへ編入学して法学位を得たそうだ。
ギンズバーグ氏は、コロンビア大学ロースクールを優秀な成績で卒業したにもかかわらず、女性であることを理由に高等裁判所やニューヨークの法律事務所に採用を断られ続けたそうだ。1963年にラトガース大学、そして1972年にコロンビア大学ロースクールで女性として初の常勤教員となった。その後、法廷闘争を数多く手がけ、性差別と戦う法律家として全国的な名声を博するようになる。
「男性の皆さん、私たちを踏みつけるその足をどけて」
1973年の最高裁での彼女の有名な発言だ。セクハラなんていう言葉が存在しなかった頃の言葉だ。壮絶な差別を受けても負けずに闘い抜いた一人の女性の誇りを感じる言葉だ。そんなギンズバーグ氏が、どうやって最高裁判事に上りつめたのか「RBG最強の85歳」という映画でその半生が描かれている。
世界中に大きな影響を与えたギンズバーグ氏。彼女の最後の願いは少なくとも新しい大統領が就任するまで生きることだっただろう。無念だ。大統領を選ぶということは最高裁判事を選ぶことに繋がってくるだけに、このニュースは大統領選にも大きな影響を与える。
ギンズバーグ氏は、2020年9月18日に大統領選挙の約2か月前というタイミングで他界した。ご冥福をお祈りします。
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