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執筆者の写真篠原竜一 代表取締役社長

暇なときに ハンコ屋さん

親父はハンコ屋だった。

親父だけではなく、祖父も叔父もみんなハンコ屋だった。ということもありハンコ文化を否定されると何とも気分が悪い。

殆どの人は、車を買うとき、家を買うときに必要なので、実印を作る。しかしながら、ハンコを作るのは人生で一度だけだろう。それもハンコ屋さんで手彫りのハンコを作る人は激減している。洋服などとは異なり、年がら年中ハンコを買い替えるなんてことはしない。ハンコ屋の息子の私だって、当然だが、実印は一本しか持っていない。従って、ハンコ屋は、普通にやっている限り、そんなに儲かる仕事ではない。街中にある殆どのハンコ屋さんはこじんまりしている。

昔はこの季節はゴム印の注文で忙しかった。学校から新入生のゴム印の注文が入る。出席簿、通知表などに押されるハンコだ。会社からも新入社員用のゴム印の注文が入る。所謂普通のハンコ屋さんは、ハンコだけでは食べていけないので、各種印刷を取り扱っている。この時期には、会社から名刺の印刷の注文が入る。大忙しだったが、シャチハタの登場、パソコンの登場でこの需要は激減した。

6月から7月にかけては、暑中見舞い、残暑見舞いの注文が入る。そして冬には喪中はがき、年賀状の印刷だ。これらの注文は、写真付き年賀状の登場を受けて、ハンコ屋さんから写真屋さんに移っていった。今やわざわざハンコ屋さんに年賀状を注文に行く必要はない時代だ。

今どうなっているのかはわからないが、卒業式の前には賞状の名書きの仕事も多かった。

一級印章彫刻技能士だった親父は、東京印章協同組合では指導者として知られる存在だったが、スピード印刷、ハンコ30分で作りますなんていう企業の登場でハンコ屋さんとして生活していくのは大変だった。

最初から最後まで手彫りのハンコはどうやって作られるのか?

まず職人が彫るハンコの原画である版下を作る。朱色の墨で染めたハンコの印面に裏返して貼り付けるために、薄い紙に墨一色で描く。細かい作業だ。印面を鏡で見ながら、校正を行う。いよいよ彫刻刀でハンコを彫る。まずは荒彫りだ。字に沿って丁寧に彫っていく。そして、細かい仕上げに入る。この仕上げが一級印章彫刻技能士の腕の見せ所だ。印影を見ると筆で描いたような印象になる。こうやって手彫りで仕上げたハンコと、機械で彫刻したハンコの印面・印影を見れば、誰でも一目でその違いに気がつくはずだ。機械彫りは、彫刻が荒く、線の太さが均一だ。捺印したときの印影は一言でいえば洗練されていないという印象だ。

職人が作った手彫りのゴム印は印面を見ると物凄く美しい。親父の作るゴム印には定評があり、何度も大会で表彰されていたが、その印影は波の模様に見えるように彫っていた。昔は年賀状を出すときに自分の住所・名前を表面の左側に雅印と呼ばれるゴム印を押す人が多かったが、今では雅印を使う人は少ない。そして、今現在我々が使っているゴム印に手彫りは殆ど存在しないだろう。そもそも職人がいない。残念だ。

最近やたらに、在宅勤務だが、印鑑の為に出勤する人がいるという報道が多いが、ハンコが悪いのではない。そもそも日本の企業の日常業務で使われている殆どの印鑑は認印だ。何でも良いのだ。イニシャルでもサインでも効果は同様のはずだ。

そもそも稟議書だっていらない時代だ。部下が、E-mailで「承認お願いします」って送って、上司が「承認」って送ればよいだけだ。責任の明確化とかいう人もいるかもしれないが、E-mailで十分だ。内容に疑問があれば話せばよいし、必要であればメールでやり取りをすれば良い。

私が社会人になった時の稟議書は手書きだった。赤ペンを入れられると全部書き直しだ。時間の無駄なので、鉛筆で書いてコピーをとって、稟議書にしたら怒られた。そんなことをやっていても会社は回っていた。今は違う。これだけ時代が変わったのだから、ITを活用して、社員の意思疎通がきちんととれる形に変えていけばよいだけの話だ。

たしかに、印鑑証明の制度については、これを機会に見直す必要があるだろう。

しかしながら、やっぱりハンコに責任はない。責任はヒトにある。

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