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暇なときに 未習漢字を使う児童をほめたら怒られた!?

教えていないことはやってはいけない。こんなことで学校は本当に良いのだろうか?

“習ってない漢字書いた作文はなまるして「辞書使ったのかな!?え、本から学んだの!?えらいね!!!」ってみんなの前でガン褒めしたらみんな図書室で小説借りて読むようになったけど管理職には怒られたって話でもする?”


というある小学校の先生のツイートが話題になっている。

この先生によると、管理職である校長先生は児童が習っていない漢字を使う事、習っていない漢字を使った児童を褒めることは良くない事だと習っていない漢字を使わせないよう指示したという。この教師は口論の末その場を収めるために謝罪をしたが納得していないという。

そりゃそうだろう。

校長先生の指示に従うとすれば、今後、この生徒の作文を読んだときに、習っていない漢字を使っていたら、すべて添削する必要がある。そんなのおかしいと殆どの人は思うだろう。それにしても校長先生にまでなる人だ。当然そんなことわかっているはずだが、どうしてこういうことになってしまうのだろう?

と考えていると、そもそも管理職としてこんな指導をしないといけない校長先生もなんだか可哀そうな気がしてきた。校長先生は、わざわざその生徒本人に声をかけ、作文のコピーをとった上で、先生を呼び出し、指導している。

学校には、変な平等意識が蔓延っているのだろうか? ちょっとでも平等じゃないようなことがあると学校には山のようにクレームが入るのだろう。それにしても、今回の件はとても不思議だ。授業中に先生が褒めただけなのに、そのことがどうやって校長先生の耳に届いたのだろう。誰かが校長先生に「問題です。校長先生からxx先生にしっかりと注意してください」と話をしている。一般常識的には問題がないと思われることに対して、同僚の先生か、生徒か、生徒の保護者の中に、平等ではない、問題な行動だとクレームをつけている人が存在する。

というか、もしかすると学校教育の中では、職員会議などで何の話し合いも行われずに校長先生から先生に対しいきなり指導が入るということは、今回の件は、校長先生の言っていることが正しいという理解なのだろうか?

まだ教えていないからという理由で、生徒が書ける漢字にもかかわらず、書いてはいけないと指導する。いつからそんな指導になってしまったのだろうか?

私の名前は、「篠原竜一」。小1では、「しのはらりゅう一」、小2-6の間は「しの原りゅう一」。竜という漢字は中学校で学ぶ。また、篠という漢字は中学生でも習わない。従って、中学生になっても「しの原竜一」だ。今の時代に私が小6だったとしたら、この校長先生の言うことを聞けば、中学受験の受験票には、「しの原りゅう一」と記入することになる。そして、高校受験の受験票には「しの原竜一」と書く必要がある。どこにも受からないだろう。

かといってこの校長先生を叩いて解決する問題ではない。校長先生は、「授業を聞かない、他の子を見下すなど、人間性に問題のある子に成長してしまう可能性」を指摘したという。

塾でどんどん先に進んでいる生徒が学校の授業を馬鹿にすることが問題になっているということなのかもしれない。先生から与えられた問題の正解を求める今の教育では、塾での予習が効果的だ。一発テストで高得点の生徒が合格するという現状の受験の仕組みを考えると、塾でどんどん先のことを学ぶ仕組みはなくならない。保護者にとっては当然の選択だが、学校の先生にとっては授業の運営が大変なのかもしれない。

教えていないことはやってはいけない。こんなことで学校は本当に良いのだろうか?

というのが私の問題意識だ。是非とも、日本の小・中学校の先生たちに本来どうあるべきか議論して欲しいと思う。

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