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執筆者の写真篠原竜一 代表取締役社長

暇なときに 911テロ ~あれから19年~

今年は例年とは違い新型コロナウイルスで大変なことになっているが、私は例年同様9/11に同じようなことを書いている。ワールドトレードセンターで生き残った人間の責任だと感じているのかもしれない。

2001年9月11日午前8時46分、雲一つない青い空。ハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟 (1 WTC)に突っ込んできた。旅客機は北棟の93階–99階を切り裂くように衝突し、数百人が即死だったそうだ。死者は合計で約3,000人弱と言われており、その中には消防士343人、警察官71人が含まれる。

当時私のオフィスは1WTCの50階にあった。旅客機が93-99階に突っ込んできたので、その下の階にオフィスがあった私は助かった。約1時間かけて非常階段を降り、無事避難することが出来た。忘れられないのは数多くの消防士が、ペットボトルの水とペーパータオルを避難する我々に配りながら階段を昇って行ったことだ。我々を助けるために、彼らの多くは命を失った。また、避難しているときに、人を押し退けて逃げるという人を一人も見なかったことがとても印象に残っている。

ビルから外に出たところで南棟が大きな音を立てて崩れ始めた。午前9時59分のことだ。走って逃げるしかなかった。生まれて初めて「死ぬかもしれない」と思った瞬間だ。道端にうずくまるしかなかった。ブルックリンブリッジを渡ってから、ガソリンスタンドで地図を買い、自分達のいる場所を確認した。携帯電話会社のオフィスがワールドトレードセンターにあったため、携帯電話は使えない。家の電話を借りようとしても緊急事態だ。皆家に閉じこもっている。


地図を見ながら、ブルックリンを北に向かって逃げた。姿の見えない戦闘機の轟音。ビルの上にはライフル銃を構えた軍人。車は猛スピードで走っている。せっかく助かったのだから、車にはねられないようにしようと同僚と声をかけあった。怖いなんてもんじゃなかった。


何時間か歩き、イーストリバーにかかる橋の上からワールドトレードセンターの方を眺めた時に南棟だけではなく、北棟もなくなっていたのには驚いた。私たちは逃げていたので、北棟の崩壊は実際には見ていない。自分達がついさっきまでいたビルがテロで崩壊したのだ。同僚たちと暫くの間黙ってワールドトレードセンターの方を眺めていた。もし一人だったら泣くしかなかっただろう。

避難後、最初にテレビを見た時のことは一生忘れられない。イスラム原理主義テロ組織アルカイダ、オサマ・ビン・ラディンという名前が繰り返しテロップに流れていたが、正直私は何のことだがさっぱり理解できなかった。当時のことを振り返るととても恥ずかしいが、私はそういうことを何も知らなかった。今となっては誰もが知っているが、当時アルカイダを知っている日本人は少なかった。


私がテレビを見て、最初に思ったことは「オサマ・ビン・ラディンって誰?有名な人?」

プロの投資家だと思って自信満々だったあの頃の私。全てが音を立てて崩れていった。今まで自分は何をやってきたのだろう。もう少しで死にそうだったのに、何が起きたのか理解できなかった。落ち込んだ。このまま井の中の蛙では、物事の本質を見極めることは出来ない。多種多様な文化を理解し、歴史を学び、もっと教養を身につけないといけない。心の底からそう感じた。

そして、911テロの2年後に日本に帰国した。子供をインターナショナルスクールに入れ、多様性を受け入れる教育を与えると同時に、自分自身も米系投資銀行に転職した。3年目には副社長に就任、日本人のみならず、アメリカ人、イギリス人、ロシア人、フランス人、中国人、韓国人と働くことになった。グローバル企業のリーダーとして働くことは、想像以上に大変なことだった。

日本の阿吽の呼吸は本当に素晴らしいと心の底から感じたのはあの頃だ。グローバルには通用しない。毎日のように思ってもいないことが起きる。その都度自分自身が判断し、決断しないといけないことばかりだった。そしてとても大切なことはその決断を言葉にすることだった。その後、フランスの投資銀行で働くことになったが、そこでも日米とは全く異なる文化を知ることになり、その経験は自分自身を大きく成長させてくれたと思っている。

私は、大学の卒業旅行に行くまで飛行機に乗ったことがなかった。殆どの人生を東京で過ごしてきた。子どもの頃は自転車で移動できる範囲が全てだった。まさかそんな私が、銀行で働き、ロンドン、ニューヨークに住み、9/11テロをきっかけに、アメリカ、フランスの企業で働くことになるとは夢にも思っていなかった。

世の中にはわかっていることより、わからないことのほうが多いとつくづく思う。感染症の拡大で世界は動揺している。ジャンボジェット機が自分のビルに突っ込んでくるとは!エリートが集まるウォールストリートでもリーマンショックを防ぐことは出来なかった。アメリカの不動産バブルであったにもかかわらず、日本経済にも大きな影響を与えてしまった。まさにグローバル時代に生きていることを痛感させられた事件だった。株・債券・商品だって、読み切れないほど識者の書いたレポートがこの世の中に存在するが、買われるか売られるかは50/50だ。要するにわからない。

リーマンが破綻した日。私はニューヨークのオフィスにいた。多くの人が職を失い、多くの人が家を失うことになるのに、ブライアントパークを歩くニューヨーカーたちの様子はいつもと何も変わらなかった。この人たちはリーマンが破綻したことは知っていてもこれから起こることは何も知らないのだ。私に物事の本質を見極める力があったら、何かを変えることが、何かに抵抗することが出来たかもしれない。でもやっぱり出来なかった。

あの時に思ったことは、今まで以上に様々な視点から情報を収集し、分析し、自分の心の中にあるものを、言葉やもので表現する必要があるということだ。

「何か変じゃないですか?」ではなく、モーゲージ市場、証券化商品市場で何が起きているかをきちんと投資家に対して自分の言葉で表現出来ていればと今でも思う。

毎年9/11にはこんなことを思い出すが、最近気になることがある。私も歳をとってますます頑固になったのかもしれないが、他の人の意見が自分と異なり共感できないと思うことが増えた。勿論、それはいけないことだし、反発するだけではそこからは何も生まれないことは頭の中ではわかっている。いくら自分が正しくても、そこに調和が生まれないと心地良さには繋がらないということもわかっている。自分が間違っていても、それを受け入れることが出来れば、そこに調和が生まれることもわかっているのに。。。


9/11テロの時がそうだった。街中も職場も緊迫していた。それぞれの家庭の事情もある。高層階のオフィスでは怖くて働けないというアメリカ人の部下が多かったが、マンハッタンにはそもそも高層ビルしかない。


ジャージーシティーにあるバックアップサイトに行って働いてほしい、ホテルの予約はどうなっているんだ?リムジンの予約は?


ホテルだって、リムジンだって、朝からずっと電話してるんだけど繋がらないんだよ。。。という声は耳には届かない。自分も含め、そこらじゅうで、俺の話を聞け!と叫んでいる人達がいる。こういう時は昔から大抵の場合上手くいかない。言っていることは正しくてもカチンとくる。


そして今、新型コロナでヒトの流れが止まり、経済が止まった世界は、調和どころではない。私の心は酷く動揺し、心地良さを探しているが、それが見つからない。この19年で一番つらい9/11かもしれない。


でも世の中にはわかっていることより、わからないことのほうが多いと言ってきたのはこの私だ。感染症との戦いはわからないことだらけで、混乱するのは仕方のないことだ。だからこそ、人の話をもっと聞こうと思う。何とかこれを乗り越えることが出来れば、また素晴らしい世界が待っているはずだと信じている。

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