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暇なときに 篠原金融塾 歴代のFRB議長 グリーンスパン氏 ②

アラン・グリーンスパン氏は、高校卒業後、ジュリアード音楽院で学んだことが有名だ。その後、ニューヨーク大学に入学し、経済学士、経済学修士を取得している。

グリーンスパン氏は1987年8月11日にFRB議長に就任したが、その2カ月後にブラックマンデーに直面した。この時グリーンスパン氏が直ちに市場に流動性を供給したことで市場は落ち着いたと言われている。結局グリーンスパン氏は、FRB議長を2006年1月31日まで続けた。


これは異例の長さだ。


1992年の大統領選挙で民主党が勝利し、ビル・クリントンが大統領に就任してからが圧巻だった。グリーンスパン氏は、米国の景気を回復させるには財政赤字を削減し、長期金利を下げることが必要だという考えの持ち主だった。また、景気が拡大を始めると、Preemptiveという言葉を使って予防的な金融引締を行った議長としても有名だ。


1995年にルービン財務長官が就任すると、グリーンスパン氏とルービン氏は、民主党政権であるにもかかわらず、財政支出を削減、強いドル政策を打ち出し、4,000ドルレベルで推移していた米国株を10,000ドルに押し上げた立役者だ。今では信じられないが、当時米国財政は黒字化し、米国30年債は発行が停止されたのである。


金融政策の行方については、難しい単語を連発。正直訳が分からなかった。語彙は増えたが、英語を理解できても何を言っているかわからないことが多く、正直困ったことの方が多かった。


当時米国投資銀行の著名アメリカ人チーフエコノミストと飛行機で隣になり、周りの乗客から「お前ら良く話すことがあるな」と怒られながらも、10時間以上金融政策について、お酒を飲みながら、議論したことがあったが、結局ベロベロになるだけで、グリーンスパン氏が何を言っているのかは次のスピーチを聞いてみないとわからないという結論になったことがある。


市場関係者はグリーンスパン氏の発言に右往左往。市場金利をグリーンスパン氏が思うとおりに誘導したことで、「マエストロ」と言われるようになった。


グリーンスパン氏による金融政策が住宅バブルを生んだと批判する市場参加者も多いが、何はともあれ18年もの長い間アメリカ合衆国の中央銀行を率いたスーパースターだ。


そして、グリーンスパン氏が現在注目しているのが行動経済学だ。殆どの金融理論は人々が合理的に行動することが前提となっている。しかしながら現実の世の中は違う。人は経済学が想定しているほど合理的ではない。グリーンスパン氏にとっても18年のかじ取りは「想定外」のことが多かったに違いない。

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