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執筆者の写真篠原竜一 代表取締役社長

暇なときに 5/3/2020 日曜日

日経新聞5月の私の履歴書は、昭和を代表する大女優の岸恵子さんだ。今日は、1945年5月29日の横浜空襲の話だ。横浜は無差別爆撃で廃虚と化したそうだ。

2日付の「疎開」では、横浜空襲を以下のように表現している。

“横浜空襲の朝は素晴らしい五月晴れだった。けたたましい警報とともに真っ青な空はウンカのように押し寄せるB29という銀色の怪鳥で覆いつくされた。朝日を浴びてキラキラと光る飛び魚のような爆撃機は美しくさえあった。

「あ、きれい……」とつぶやいたのを覚えている。それはほんのつかの間のこと。

B29の大群は身の毛もよだつ恐ろしい本領をむき出しにした。家々や人間を木っ端みじんに破壊する殺人兵器はあたり一面を阿鼻叫喚(あびきょうかん)の生き地獄にした。その頃、科学は命中すると広範囲を焼き尽くす恐ろしい「焼夷(しょうい)弾」を発明していたのだ。”

空襲の当日、岸恵子さんは一人で逃げた。3日付の「横浜空襲」ではその悲惨さが手に取るように伝わってくる。

“防空壕にいた人のほとんどが爆風と土砂崩れで死んでしまった。大人の言うことを聞かずに飛び出した私だけが助かった。「もう大人の言うことは聞かない。今日で子供をやめよう」と私は思った。“と締めくくっている。

東京の空襲の話は親父に良く聞いた。B29は不気味で、何とも嫌な感じがしたそうだ。防空壕から出て、さあどっちに逃げようかと考える。逃げる方向を間違えると死んじゃう。ある日焼夷弾が祖母の目の前に落ちて、「母ちゃん、死んじゃう」と思ったそうだが、幸いにも不発で助かった。「そういう運命だったのだろうな」と良く言っていた。

戦争と言っても、本来は無差別爆撃など許されるはずはない。本来はお互いの軍事施設を叩き合うのであって、民間人は可能な限り巻き込まない。しかしながら、東京大空襲、横浜空襲という無差別爆撃で街は廃虚と化したのだ。戦後は年がら年中、腹が減っていたという。

それと比べても仕方ないことかもしれないが、外では新型コロナウイルスが目に見えない無差別爆撃を繰り返している。3密が大好きらしい。逃げるに限る。防空壕と自宅だったら、自宅の方が断然良い。食べ物もある。家で飲んでいる限り、逃げ遅れることもない。考え方次第だ。

それにしても、女優である岸恵子さんの書く文章にここまで心を動かされるとは思わなかった。凄まじい表現力に圧倒される。今月いっぱい続く連載、楽しみにしたい。

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