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執筆者の写真篠原竜一 代表取締役社長

暇なときに 篠原金融塾 歴代のFRB議長 ボルカー氏 ①

ポール・ボルカー氏には一度お会いしたことがあるが、とにかくでかい。私も183cmあり、日本人としては大きいほうであるが、握手した時、私の顔の前には彼の胸があったのをはっきりと覚えている。政府、FRBに対し、間違ったシステム・ルールを改善することを長い間求めてきた人だ。


彼はプリンストン大学を卒業、ハーバード大学院で政治経済学を学んだ。ボルカー氏がFRB議長に就任したのは1979年だ。アメリカが弱っていた時代だ。1971年のニクソンショック。1973年に主要通貨の変動相場制への移行が行われた。同年アメリカ軍はベトナムから撤退している。また第四次中東戦争が勃発、石油価格が急騰。1978年のイラン革命、1980年のイラン・イラク戦争。


この頃のアメリカはまさに不況下の物価上昇(スタグフレーション)に苦しんでいた。こんな時代に登場したボルカー氏が行ったのが金融引締政策。マネーサプライに注目し、利上げを実施、1981年には政策金利FF O/N金利を20%に引き上げた。株式市場は暴落、景気は悪化、失業率は二けたに上昇した。ボルカーショックだ。何はともあれ、インフレ退治には成功。


しかしながらボルカー氏は何故ここまでインフレ退治を優先したのだろうか?


世界経済はおそらく過剰流動性により支えられていた時代だったはず。そして今と比較するととても非効率的な市場であり、石油価格の急騰により、インフレが加速していたのであろう。これによりリスク資産が大幅に上昇していた時代に登場したボルカー氏は、過剰流動性を吸い上げない限り、その歪みを修正することは出来ないと考えたいに違いない。凄い人だと思う。


ボルカー氏が有名なのはこれだけではない。2010年にオバマ大統領が「ボルカールール」と呼ぶ銀行規制案を提案したが、これは、ボルカー氏による銀行規制論に基づいたものだ。

あまりにも分厚い規制案で当時は読むのに必死。わからないところについて、専門家に説明してもらうとますますわからなくなる日々。現場は、「そんなことどうやってやるの?無理でしょ?」って感じだった。


繰り返しになるが、政府、FRBに対し、間違ったシステム・ルールを改善することを長い間求めてきた人だ。リーマンショックについても、銀行を批判すると同時に、政府、FRBがきちんと金融システム・ルールを作ることが出来ていればあんな事態にはならなかったと信じている人なのだろう。


昨年の秋、ボルカー氏は、経済が好調でインフレがまだ問題になっていないことから、金融引締めを遅らせ過ぎてはいけないと言っていた。経済が好調なうちに連銀のバランスシートを削減、FF O/Nを引き上げることにより、過剰流動性を吸収、過度なリスクテイクに警鐘を鳴らす。


1927年生まれの91歳。子供の頃は世界大恐慌。数々の戦争。数々の経済危機。歴史的な出来事のど真ん中にいた人だ。そんな人がFRBの独立性を叫んでいる。皆ちゃんと聞いたほうが良い。

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