暇なときに 勝海舟

私は勝海舟が大好きだ。

江戸城無血開城は、奇跡的としか言いようがない。官軍を率いる西郷隆盛、徳川方を束ねる勝海舟。どちらも一歩も引けない。勝海舟の西郷隆盛との交渉は勿論凄い。しかしながら、本当に凄いのが、海舟が、自分の親分そして徳川方の兵士たちに対して、江戸城を受け渡すことがこれからの日本にとっていかに重要かを説明し、納得させたことだと思う。

人は、皆、これだけは譲れない、これを守れないのであれば死んだほうがましだという信念を持って生きているものだ。だから面倒くさい。そして、時に人は、生きることよりもその自分の価値観を優先しようとする。特に当時の兵士たちにはそういう人達が多かったはずだ。にもかかわらず、江戸城無血開城が実現した。

勝海舟ほどのリーダーを私は知らない。

NIKKEI The STYLE 2020年4月5日付 「勝海舟と長崎 恋と師が深めた平和思想」が面白い。特集では、30代、長崎海軍伝習所で深めた平和外交思想がその後の海舟の源流になっているという。

米国のペリー艦隊が浦賀沖に来航し開国を要求したのが1853年。これを受け、幕府は、軍艦2隻(咸臨丸と朝陽丸)をオランダに発注。士官や下士官、乗組員を教育する海軍伝習所を開講した。教師ら指導者はオランダから派遣された。

長崎海軍伝習所は、1855年10月末から講義を始め、海舟はここで学ぶ。そして海舟が大きな影響を受けた人物が第2次教師団の団長、ファン・カッテンディーケだという。世界情勢に明るく、後にオランダの海軍大臣や外務大臣に就くだけの卓見を持った人物である。カッテンディーケは、小国オランダがイギリスやフランスなどの大国を相手に生き延びるために、いかに平和外交が大切かを海舟に話していたという。

68年の江戸城の無血開城のみならず、海舟は、明治政府になってからも、台湾出兵に反対したり、清国への宣戦にも異議を唱えたりしたことで知られている。そういう意味では、海舟が長崎海軍伝習所で平和外交思想を深めたというのは事実だろう。

でも海舟が凄いのは単なる平和主義者ではないということだ。欧米列強に対抗するには、日本、朝鮮、中国の三国が同盟して技術を発展させていくべきだし、そうしなければ間違いなく西洋人に踏みつけられると考えていた海舟。日清戦争については明確に反対し、日本は中国と組むべきだと主張していた。「中国の5億の民衆は日本にとって最大の顧客だ」という先を見る眼力は素晴らしい。

「国を想い、民を想うならば、過去の栄光にすがるのではなく、時代の変化を見据え、自ら退く」と必死に日本の将来のために徳川慶喜、並びに兵士を説得した海舟は常に戦いを避ける「ハト派」の生き方を貫いた平和主義者ではなく、国を想う、真のグローバルリーダーだったと私は思う。


勝海舟の墓は洗足公園にある。墓は夫婦で並んでいる。右墓塔に「海舟」、左墓塔には「海舟室」(妻・民子)と徳川慶喜の手で刻まれているが、海舟の女癖の悪さは有名で、奥さんは死んだら絶対一緒の墓に入りたくないと言っていたので、夫婦の墓は別々だという話を聞いたことがある。

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