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執筆者の写真篠原竜一 代表取締役社長

暇なときに 「キャリア」5/7/2020 木曜日

良い天気だ。街が動き出したが新聞が来ない。休刊日だ。私の履歴書が読めない。いよいよドイツが経済再開へ動き出す。4/20からは小規模の商店に限って営業を認めてきたが、5/6からは国内全商店の営業再開を認めた。ブンデスリーガは5月後半から無観客で再開される。アメリカも状況が明らかに良くなっているわけではないが、再開に向けての動きも出てきた。おそらく5月後半には、これらの動きに併せて、何となく自粛解除に向かう日本の姿が想像できるが、不安な気持ちでいっぱいだ。

「私が望んでいることは何か?」 「私がやりたくてたまらないことは何か?」 そして、「私はどうなりたいのか?」 を昨日から考えている。

詳細は、「暇なときに キャリア教育 ~大切なこと~」 ご参照。

野球の選手になりたい。バレリーナになりたい。ピアニストになりたい。医者になりたい。先生になりたい。小さいころにはすぐに答えが出てきたものだ。小学生の頃、先生に「将来の夢は?」と聞かれ、「長嶋茂雄」と答えたら、「君は長嶋茂雄にはなれない」という答えが返ってきたことを今でも忘れられない。そうかあ、じゃあ「アメリカの大統領になりたい」と言ったら、「君はアメリカの大統領にはなれない」と言う答えだった。残念。じゃあお父さんのように「ハンコ屋さんになる」って言ったら、先生の答えは「お習字をもっと頑張って」だった。

子どもの頃は、まだインターネットなどなかった。巨人の長嶋選手が大好きだった。テレビで観たアメリカの大統領はとても格好良かった。小さい頃は、スターとかヒーローと呼ばれる凄い人、若しくは近くにいるお父さん、お母さんといった身近な大人を通じて自分の夢を考えていたのだなあと思う。

それが、いつからかは思い出せないが、自分の夢とか、やりたくてたまらないこととか、将来どうなりたいのか、を考えることが無くなった。

唯一悩んだのは中学校から大学まで続けたバスケットボールを実業団リーグで続けるのか、もしくはサラリーマンになるか考えた時ぐらいだ。183cmという極めて中途半端な身長だ。オフィスで働くのに支障でるほどはデカくない。バスケットの世界で長い間活躍できるほど大きくはない。どちらかと言えば小さい。ということでサラリーマンを選んだ。そういった意味では私は夢を追いかけていない。

就職活動中に思っていたことは、家が金持ちだったら働かなくても良いのに。残念だけど、会社に時間を拘束されるのであれば給料が高い銀行で働こうということだ。今から思うと情けない。

哲学者のアラン・ワッツ氏は、「もしあなたがお金を得ることがもっとも大切だと考えているとしたら、あなたは完全に人生を無駄に過ごすことになる。なぜならやりたくないことをする生活を続けるためにやりたくないことをし続けるからだ。これは実に馬鹿げたことだ。そんな惨めな状態で長生きするより、短い人生でも好きなことをやって生きる人生の方がマシでしょう。」と言っている。

私は完璧に人生を無駄に過ごす典型的な人だったかもしれない。それでも私がラッキーだったのは、仕事が本当に楽しかったことだ。


大学時代の会計学の授業は退屈だったが、銀行に就職するとすぐに市場部門の取引を財務会計と管理会計が一致するように管理する多通貨会計を導入するメンバーになった。最初は訳が分からなかったが、例えばデリバティブ取引を行った後にどのように仕訳(Tバー展開)をしていくと実体に則した期間損益を把握出来るか、正しい会計処理になっているかを考え、システムを開発していく仕事は何か自分がその組織の一員として貢献していると感じられて楽しかったのである。


変な奴かもしれない。取引締結日、取引開始日、取引終了日に起こる出来事の仕訳を考え、作成していき、会計原則に則した形で、かつ正しく収益計上を行うためにはこうすればいいんだと分かった時の何とも言えない満足感、にやにやしている自分がいた。夜中の12時に仕事が終わって、「よし終わった!飲みに行こう!」って、この時に出会った会社の先輩たちにはとても感謝している。

その後実際にトレーダーとなり、ロンドン、ニューヨークで経験を積み、米ドル債券ポートフォリオ運用のヘッドになれたのは、会計処理に美しさを感じ、その取引を実際に自分でやってみたいと思い、どうせやるなら、ロンドン・ニューヨークで本場のマーケットで学び、その結果ALM、流動性管理では会社の中の誰にも負けないという自信をつけたことが大きい。そして将来は東京の本店に戻って、ヘッドの仕事をやりたいと強く思っていたからだと思う。

最初からこれがやりたいと考えていたわけではないが、結果的には「私が望んでいることは何か?」 「私がやりたくてたまらないことは何か?」 そして、「私はどうなりたいのか?」を考えさせてくれる職場だったのかもしれない。私は、ラッキーだった。日本興業銀行、間違いなく日本一の銀行だった、、、と私は信じている。その後もアメリカ、フランスの投資銀行では自分がやりたいことをやってきた。


私は、社会人生活を「退屈」だと思ったことは一度もない。「不安」なことは山のようにあった。就職。ロンドン、ニューヨークへの転勤。会社の統合。911テロ。転職。リーマンショック。会社の統合。転職。退職。会社設立。新型コロナ。日米の銀行で、統合、合併作業のど真ん中にいた人間そんなにはいないはずだ。

振り返ってみると、私は常に利己的に生きてきた。それで悪かったとは思っていない。しかしながら、良かったとも思っていない。少しだけ利他的に生きることが出来たらもっと素敵だったかもしれない。自分は多くの人たちに助けられながら、明るく楽しく元気よく生きてくることが出来た。


で、今はどうなのか?


私の人生で緊急事態宣言が発出されるのは実は2回目だ。1回目は911テロ。アメリカでのことだ。そして今回。一大事だ。何かをしないといけないと思ったが、特別なことが出来るわけではない。そこで今思っていることを言葉にしようと思い、宣言発出されてから毎日ブログを更新することにした。こういう心理状態の時に自分が何を感じ、どんな言葉で表現するのかあとから振り返ってみたいと思ったからだ。


学校でも会社でも、本来の教育とは、学ぶ人の個性を大切にし、それぞれの人生の選択肢を広げ、様々な分野でリーダーシップを発揮する人を育てることであると思っている。新型コロナウイルスで大きく変わる世界、これからますます教育の重要性は高まる。金融という仕事を通じてなのか、教育、キャリアという仕事を通じてなのか、引き続き模索中ではあるが、投資家、若い人、子供たちを元気にするような活動をしていきたいと思っている。

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